|
2007.11.21・22/水俣を訪ねて 〜生産者グループきばる目合わせ会〜 北東京共同購入担当理事 村上典子 熊本県水俣市・・・それは、小・中学生の頃、毎日のようにテレビや新聞で公害という言葉と一緒に目にしていた土地の名前でした。 それから約40年後、私は、その水俣市を訪問することになりました。目的は、生活クラブ連合会連合消費委員会青果部会メンバーとして、岩手、群馬、栃木、山梨の組合員とともに甘夏みかんの生産者グループ“きばる”との目合わせ会へ出席するためです。
全国から集まった組合員と共にお昼過ぎの飛行機で羽田空港から向かったのは鹿児島空港です。 水俣は熊本県なので熊本空港に飛ぶのだろうと思っていましたが、水俣市は熊本県の南端。鹿児島県との県境に位置していたのです。鹿児島空港から美しい霧島山系の山並みを車で1時間ばかり北上し、山を西に下ると、水俣市が現れました。日のあがっているうちに水俣市の見学です。
「水俣で立派な建物は、病院とパチンコ屋ですよ」と、案内してくれた“きばる”の高橋さんは言います。確かに、人口約28,000人のこじんまりした町に、多くの病院がみられます。町の中心にチッソ(株)水俣工場。ここでは、現在も肥料、塩化ビニールが生産されているそうです。工場の端にあたるところに「百聞排水口」がありました。ここの排水口を通じて1932年から1968年まで、チッソ(株)水俣工場がアセトアルデヒド製造過程で発生する強い毒性をもつメチル水銀化合物(有機水銀)を工場排水と共に排出していたのです。水俣湾から不知火海へと流れ出た有機水銀は、そこに棲む魚介類の中に取り込まれ、人々がその魚介類を長い間食べることによって、水俣病という脳や神経に障害を与える中毒症を引き起こしました。これが、水俣病です。
1959年には、有機水銀が原因ではないかという医師からの指摘がありました。 しかしその後、1968年に政府が公式に原因を発表し、チッソがアセトアルデヒドの製造を中止するまで10年近く放置されることになりました。水俣病の被害は、その間ますます拡大しました。この構造は、現在の多くの薬害問題でも見え隠れするのではないでしょうか。
多いところで4メートルにも達した有機水銀を含むヘドロは、1977年から14年もかけて485億円をかけて護岸工事をした内側の埋め立て地に封印されました。その58.2ha(福岡ドーム約8個分)という広大な埋め立て地は、巨大な公園(エコパーク水俣)となっています。多くの時間とお金を使ってやっと、1997年、熊本県は魚や海水の水銀の濃度の調査を続け、国の基準を下回っていることを確認しています。
すでに夕方になっていましたが、私たちもエコパーク水俣の先端部の親水護岸まで行きました。 すると目の前には、本当に美しい水俣湾(不知火海)が現れました。沖合いには島々が浮かび、波もなくおだやかで水も透き通っています。ちょうど夕日が沈むころでしたから、それはそれは美しい風景でした。 水俣湾も京浜工業地帯をかかえる東京湾のようではないかと勝手に想像していた私には、目の前の美しい海に言葉を失いました。かつても美しかったに違いないこの海を、知らない間に汚染してしまっていたとは。 ふと、青森県六ヶ所再処理工場稼動のことを思いました。取り返しのつかないことになってはならないと。
日がすっかり暮れた頃、水俣市湯ノ児にある三笠屋において、甘夏生産者グループ“きばる”との目合わせ会がはじまりました。 “きばる”のメンバーは水俣病発生と共に不知火海周辺の漁場を奪われた人たちで、水俣病の被害者の方々も含まれます。現在、1市3町に30名の生産者がいて、甘夏・しらぬいの生産をしています。 今回の目合わせ会には、身体の具合の悪い生産者以外ほとんどの生産者が出席しました。 不知火海に浮かぶ御所浦島から貸し切り船でかけつけた生産者もいます。目合わせ会では、生産者と組合員が今年度の作柄と出荷規格を協議確認します。 甘夏の規格は9センチ以上、しらぬいは8センチ以上で、特殊な定規を使って実際に確かめました。 今年は例年になく雨が少なく、小さめだが糖度が増しているとのこと。雨が少なかったということは、台風の影響も少なかったということで、収穫量は例年より30トンほど多くなりそうだとのことでした。 収穫までにもう一雨、根まで届くような雨が降れば実がひとまわり大きくなるとのことでしたが、その後12月に待望の雨が降り、十分な大きさになったと聞きます。
“きばる”の生産者は、有機質肥料施肥、低農薬栽培をしています。8月1日以降、年明けの収穫まで一切の農薬をかけていません。農薬を減らすということは黒点病、サビダニ病が出やすくなります。皮に多少の傷、汚れがあっても中身には全く問題がありません。どのぐらいの表面の傷、汚れが許容されるか。「皮ごと丸ごと食べる」とアピールし、マーマレードやピール作りなどを楽しみにしている組合員の顔を思い浮かべつつ、農薬を使わないがゆえの見た目の悪さを全て拒否してしまったら生産者の再生産が保証できません。組合員にどの程度理解してもらえるだろうか?真剣に協議しました。
その結果、今年は多少の傷みは許容するとして、2キロ袋に1個、5キロに2個、10キロに3〜4個、までと確認しました。傷みの程度を確認する写真を事務局が撮り、各センター・デポーに通知されます。 生産者のお一人が「この規格は“きばる”全員が守らなくちゃだめだぞ」と力強く発言されていたことも印象的でした。
では、なぜ“きばる”の生産者は、減農薬栽培をしているのでしょうか。 水俣病の発生で漁業を禁止された人たちは、国、県の指導もあり、水俣の土地に合った甘夏みかんの栽培を始めました。柑橘類の栽培に適した土地というのは、温暖で、日光がよく当たる傾斜地がよいそうです。国有林をもらっての挑戦だったという生産者もいました。当初は一般的な農法である「良い甘夏みかんは、農薬を散布しなければできない」という農法で甘夏みかん作りに取りかかりました。しかし化学肥料を作っていた工場からの排水による被害者である生産者たちが、農薬を散布して栽培することに疑問をもちはじめました。実際、農薬を散布して身体の具合が悪くなって入院することもあったそうです。 「水俣病の被害者が加害者にならない」という目的で生産者グループ“きばる”は発足しました。 生活クラブは生産者と消費者という対等な関係で、減農薬で甘夏を生産していく生産者として提携し、“きばる”の甘夏を運動消費材と位置づけたのです。それ以来、約30年。毎年、目あわせ会、交流会、生産者カードなどを通じて生産者と組合員は、交流を続けてきました。
“きばる”では、最大5回の農薬散布(慣行農法では12〜15回)にとどめ、8月以降は一切農薬を使用しません。長く保存するための防腐剤もヘタ落ち防止剤も使っていません。(慣行農法では、収穫前1週間前まで散布するそうです) 減農薬栽培は生産者によって差がつきやすいので“きばる”では各地区に生産委員を設けて農法の統一に努めています。このように減農薬で栽培されている“きばる”の甘夏は、表面の見た目や日持ちがよくないので一般市場向けではありません。安全な甘夏を食べたいという生活クラブの組合員の利用結集で生産を支えています。 今年はきばる生産量350トンのうち、210トンを全国の生活クラブ組合員で利用する約束をしました。
目合わせ会終了後、生産者との交流会の席上には、安全宣言が出された不知火海でとれた新鮮な魚が並びました。太刀魚のしゃぶしゃぶなどとても美味しいものでした。今は甘夏を作っている生産者たちも、長い間できなかった目の前の海で糸をたらして魚を釣る事が大好きだそうです。
翌日、青い空のもと圃場見学に向かいました。 リアス式海岸をくねくねと水俣市茂道に向かう途中、水俣病歴史考証館で水俣病被害者の闘争の歴史を振り返りました。茂道地区は“きばる”産地の中では一番南側、鹿児島県との県境に位置します。 小さな漁港を取り囲むような集落の後ろに傾斜の急な山が控えています。これは、まさしく柑橘類の栽培に適するという、まんべんなく日光がよくあたり風が通る地形でした。 しかしそれは、重労働も意味するわけで、ここ数年続く水まき作業は生産者にとって、とても厳しいものです。急斜面には農作業のためのトロッコ用レールも設置されています。
杉本さんの畑に集まった生産者の方々は、みなさん帽子をかぶっていました。理由をたずねたところ、甘夏やしらぬいの畑に入るとクモの糸をかぶることになるからだそうです。目を凝らすと、確かに大きなクモがあちこちに巣を張っていました。害虫を食べるクモが農薬で駆除されずに巣があるということは、農薬が残っていない証拠だそうです。8月以降、虫や病気が発生したときは、台所用水石けんか牛乳の散布をするそうです。その時は「農薬のように全身を覆ったりする必要もない」と話してくれたのは、おじいさんから甘夏作りを引き継いだお嫁さんでした。 甘夏もしらぬいもたくさん実をつけ、燦々と陽をあびていました。甘夏は植えつけてから40年近くたち、立派な木になっています。生産量も食味も、今が一番安定しているそうです。全体の作付けの約1割がしらぬいで、植えてから7年。5年目からやっと本格的な収穫量になってきましたが、安定するにはまだこれからだということです。 “きばる”緒方会長は、しらぬいの栽培も考えつつ、全国で作付けが減ってきている皮も実もおいしい甘夏みかんを、これからもこだわって作っていきたいと話してくれました。
1泊2日、駆け足の水俣訪問でしたが、多くの生産者に会い、圃場を確認することができました、 水俣病が発生した当時は日本全体が右肩上がりで大量生産、大量消費に流れていた時代です。 その恩恵を受けたわたしたちは負の遺産をあの美しい自然を持つ小さな町に押し付けたのではないか。 それは決して40年前の出来事ではないのではないか。その意味でも私は“きばる”の甘夏みかん、しらぬいを食べ続けていきたいと思います。
“きばる”とは、九州地方の“がんばる”“ふんばる”“一生懸命やる”という意味の言葉です。 どうぞあなたも一緒に“きばる”の甘夏みかん、しらぬいを食べていきましょう。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||